代表
資格
第一種電気主任技術者(1987年 試験合格)
技術士(電気電子部門)
博士(工学):大規模電力系統における電圧安定性の実用的向上方策に関する研究
略歴
中学時代に精神のバランスを欠いたことを起因として体調不良を引き起こし、出席日数ギリギリで中学を卒業した。このため、その後の経歴が一般的なものと大きく変わっているので、以下では通常の履歴書とは異なる形で表現したい。
この経験から、その後はとにかく精神的に無理しないように生きてきた(人から見れば分かりにくい行動もあるでしょうが・・)
見習い時代(1981年から1984年)
1981年3月に埼玉県立川越工業高校を卒業後、東京電力株式会社埼玉支店(当時)に入社。新入社員研修後、埼玉県西部の変電所(500kV変電所から配電用変電所)の保守点検や当直業務に担務し、国内の変電所技術に関する現場基礎力を身に付けた。特に、500kV変電所の保護制御技術に関する保守業務の経験は貴重であった。
知識の充実のため資格取得を目標に自己啓発した。1981年に電験三種に合格、一度の失敗後1983年に電験二種に合格した。もちろん工業高校を卒業したことから基礎的な電気の知識はあったが、電験二種受験時は、電気書院の最新高級電験講座(確か26分冊)を読了することで試験をパスした。このため、自分の力を過信するいわば、有頂天状態であった。
自己内省期間(1984年から1988年)
当時、東電には東電学園大学部(学而不思則罔の理念を木川田一隆が実現と理解)という企業内学園があった(2001年に廃止)。3年間に電力工学に関する学問を東大教授陣(関根先生、正田先生、河野先生、茅先生・・・非常に贅沢)から講義を受けた。受講する側の実力は東大生とは比べるべくもなく、素晴らしい先生方からどれだけ知識を得られたか心許ないが、創設理念のように社会生活を4年間以上経験した後に学問することは有益であるということを強く実感した。
ただ、この実感をはじめから持つほど人間はできていなかった。縁があり東電学園大学部にお世話になった当初、学問を受け直す意味を理解できていなかった。見習い時代でも書いたように入学当初は有頂天であったので社会をかなり舐めていたと思う。
この有頂天状態は当たり前のことであるが、脆くもというか幸いにも崩れ去る。関根先生の初回の講義の際に回路理論の初歩の問題が提示された。先生はこの問題を解けるかとおっしゃられ、「有頂天人」は得意満面に黒板で解答した。このとき先生は、「多くの日本人の解き方ですね。でもほかの方法もありますよ」といって、独学時代に読んだことのない解き方を紹介いただいた。今となれば回路理論の基礎を理解していれば普通のことであったのに、日本の電験試験という特殊な状況でしか通用しない方法が理論のすべてであると「井の中の蛙」は信じていたのだ。
広く視野を持つことの重要性はだれも異論をはさまないが、本当に難しいことであり常にこの経験を心にとめている。
研究員時代(1989年から2013年)
東電の技術開発研究所に配属された時期である。
電力グリッドの安定な運用を実現するためには、地域や歴史的背景から千差万別になる電力グリッドの性能を適切に合理的に判定するための解析技術の開発(情報モデルの統一化や高度な数値解析技術の開発、グローバルな研究協調体制の構築)を電力会社で進めた。この辺の成果は、インターネット上で検索いただければ、発表論文リストも容易に検索できるので、ここではくどくは説明はしない。
ただ、電力グリッドという複製することが不可能なシステムの性能を信頼性を落とさずに向上させることは非常に難しく、長く現場実務を担当した方々の声の大きさを理詰めで鎮めることに何度も挫折した。忸怩たる思いである。この経験から、理屈だけでなく期待される効果を具体的に提示する(見える化)を容易に行うために、電力グリッドをデジタル仮想空間上でできるだけ正確に再現する仕組みについて多くの検討時間を割いた(MidFielderで検索いただくと検討経過をご確認いただけます)。この考え方は欧米では国際規格になっているCIM(IEC 61850)に類似している。文献調査をちゃんとしていれば、時間を短縮できたことは自明であり反省材料の倉庫になってしまった。
紆余曲折はあったが、社内において電力グリッド解析周りの情報の統合化の機運が高まり、あと一歩というところまで到達したものの、東日本大震災を経験することになりプロジェクトは霧散した。
ソリューション化のチャレンジ時代(2013年から2024年)
日立製作所に転職した時期である。
事務所代表者は、純粋に電気回路の技術者であり、震災後の制度改革についての議論に対応することは苦手だったので、研究員時代に培った電力グリッド運用技術をソリューションとして社会に貢献するべくメーカーに転身した(精神に負担をかけないという生き方)。
NDAの関係からプレスリリースした内容を紹介するにとどめる。
電圧無効電力制御については博士論文のテーマであったこともあり多くの思い入れがある。長年の考察でローカル制御に基づく現状の仕組みには多くの課題があると考えていた。この課題を解決するには、情報を中央集約し数理最適化により電圧無効電力制御が有効と考えていた。高い信頼性の数理最適化演算が可能であるとの検討結果と日立の実装技術の融合を原資として、オンライン電圧プロファイル最適化ソリューションを提案した。
ところで研究員時代にも記載したように新しい技術の導入のハードルは非常に高い。技術の有効性を認知いただくためには技術実証が不可欠である。そこで、電力グリッドの性能向上がカーボンニュートラルに貢献可能であることに注目し、最適電圧制御による送電損失低減効果からCO2クレジットを獲得するという論理を構築した。この論理は広くご理解いただき、幸いにもNEDO実証事業のプロマネとして送電系統の電圧プロファイル最適化によるCO2削減効果をタイ国電力会社(EGAT)の協力のもと実証したプロジェクトにおいてプロマネを務めた。
受電設備(2024年4月から10月)
日本テクノに転職した時期である。
将来の再エネ導入の円滑化を図るためには、電力グリッドの総合的なリバランスのニーズが高まると考えた際、需要家サイドの知識に不足を感じ、電気主任技術者の資格を利用して、特高/高圧受電設備の国内の現状を把握した。
町工場の高圧キュービクルの現状や特高設備の運用など、半年程度の経験だったので全体を把握したとは言えないが、現場から眺めると国の制度改革や電力市場検討、各種の高度な需給調整システム等の理念の議論が別の世界の話かと思うほど乖離しているように感じた。当たり前であるが、現場の第一優先順位は保安である。ただ、カーボンニュートラルをめざして社会全体で電力分野のDXを進めるのであれば現場サイドのDXの在り方についても視野に入れるべきではないかと思う。関係者が百様で、かつ、実装方法も千差万別であるこの分野においては、競争原理では電力システム全体が協調するDXの成果を出せないではないと考える。
要素技術のアイデアではなく、電力システムに参加するすべてのステークホルダが受け入れかつ持続可能な俯瞰的な設計がなければ、カーボンニュートラルをめざす送配電DXは困難だと危惧する。電力システムは社会の隅々まで巡るエネルギーを管理する仕組みであり複眼的にシステムを設計しないと、思わぬ陥穽にはまる可能性を回避できない。
これからの個人の目標
個人技術士事務所で行えることには限界があるのは自明である。それでもなお個人事業を選択したのは、収入が目的でもなければ功名心でもない。社会に欠かすことのできない電力システムを進化させる議論が、専門家の牙城(白い巨塔)で進んでいるというような印象が生じないように、「事務所がめざすもの」に整理したように電力グリッドの物理的な性質を丁寧に発信するとともに、構想を実現するのに不可欠な日本の技術基盤の維持拡大に向けて微力ながら貢献していきたいと思う。